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              本名は森田 一義(もりた・かずよし)といい、福岡市南区の出身です。 
             
             
              田辺エージェンシー所属のタレントであり、彼が司会をする「笑っていいとも」は 
              フジテレビの長寿番組として20年続き、今やフジテレビの「顔」的存在です。 
             
             
              ビートたけし、明石家さんま共に、日本のお笑い芸人BIG3の一人といわれています。 
             
              特定の師匠や修行経歴を持たず、素人芸を極めて一家を成した珍しいタイプの 
              エンターテイナーといえます。 
             
              博多でボーリング場の支配人をしていた時に、コンサートで福岡に来ていた 
              ジャズ・ピアニストの山下洋輔らと知り合い、その時のタモリの素人芸があまりにも面白い 
              という事で、東京に呼ばれました。 
             
              そこで漫画家の赤塚不二夫のすすめで赤塚の自宅に居候生活をおくるようになったのが 
              今日のタモリが世に出るきっかけとなったようです。 
             
              最初は深夜ラジオの「オールナイトニッポン」で、その時パーソナリティをやっていた漫画家の 
              高しん太郎の、面白い知り合いがいる、という事で電話で出演したのを覚えています。 
             
              その時のネタは中国・韓国・アメリカなどの「4カ国麻雀」というデタラメ外国語での 
              ひとり芝居だったと思います。 
             
              また、短波放送で中国共産党の放送を電波状況が変化しながらしゃべる芸もこの時に 
              聞いたと思います。 
             
             
              その後、テレビ東京の「空飛ぶモンティパイソン」という番組の中のコーナーに、普通の 
              サラリーマンのヘアスタイル(まだ真ん中わけのオールバックでない)をしたタモリが出演し、 
              卓上プレイヤーでクラッシクレコードを鳴らしながら、その曲にあわせて指揮者のマネを 
              するという芸を見ました。 
             
              ものまね芸は人間のマネではなく、イボイノシシやイグアナ、ハエといった考えも付かない 
              ネタをやっていました。 
             
             
              和田あきことせんだみつおが司会をしていた人気番組「ゴッドねえちゃん」のレギュラーに 
              なったくらいから、オールバックで片目アイパッチのスタイルになったと思います。 
             
              その多趣味・多芸・多才さで交友関係もひろいが、弟子はいっさいとらない主義で「自分芸」に 
              徹しているタレントです。 
             
             
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